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自己紹介&コラム

2007年1月

裁判を身近なものに
(2007年1月21日 福井新聞掲載)

はじめに

フセイン元大統領の身柄をめぐり、イラクと米国の両国で攻防があったと言う記事を見て、そう言えば、フセイン元大統領の死刑執行はずいぶん早かったなあと思い出しました。年末の12月26日に控訴審で死刑の判決が下り、4日後には死刑が執行されました。  その何日か前には国内でも4人の死刑執行が行われましたが、この中には死刑確定後19年も経った人もいると聞きました。

死刑執行は法務大臣の役目

前の法務大臣が死刑執行命令にサインをしないまま任期を終えたのに対して、安倍内閣で法務大臣に就いた長勢法相は「法治国家にあって、確定した判決の執行は冷静に行われなければならない」との考えを示していますが、全く同感です。

近年、凶悪事件の増加に伴い、年間の死刑確定者数も増加の傾向にあるそうですが、その一方で、法務大臣が執行にブレーキをかけたままでは、未執行受刑者は増え続け、聞くところによると百名を越える勢いとのことです。法治国家における法の遵守は、死刑執行に対しても例外であってはならないと思います。

死刑判決の存在そのもの

ただ死刑判決の存在そのものを議論することは、別の次元で重要と感じています。法の下に国家が「人」の命を奪っていいのかどうか?簡単に出る答えはないように思います。自分が被害者になれば加害者のことを「人」とは思えないだろうし、殺したいほど憎むかもしれません。そうした被害者の気持ちや犯罪抑制の意味からも死刑と言う制度が必要なのかもしれません。

最近の内閣府の世論調査によると、死刑制度存続支持が過去最高の81.4%に達したそうです。最近の凶悪事件には死刑判決とその執行を国民が求めているのでしょう。  ただ、世界的に見ると、死刑を実施している国は68カ国(06年9月現在)と意外に少ないことが驚きです。しかも、先進国では米国と日本くらいで、欧州などでは加害者の人権をも認める方向にあるようです。

裁判員制度が始まる前に

無作為に抽選で選ばれることで、誰もが裁判員になりうる裁判員制度は、2年後に開始される予定です。しかも、私たち裁判員が担当するのは重大事件と言うことらしく、もしかすると、死刑を言い渡すような判決があるかもしれないのです。

いざその場に私たちが関わった場合に、世論調査に答えるように死刑を求めることが出来るのかどうか、明確な答えは出ないままです。まだまだ裁判と言うものが一般には非日常的であり、自分とは関わりのないどこか遠い世界のことのように思っているからでしょう。

福井県は全国的にも法教育が進んでいると言う記事では、原理原則自体ではなく、身近な日常の出来事から「公平」とか「正義」について考える取り組みが行われているとのことでした。日ごろから「裁き判定を下すこと」を身近に感じる環境や考えも必要な時代になってきたのでしょう。

裁判員制度において「普通の生活者の視線」で判断するためにも、痴漢冤罪を通して日本裁判の実態を描く映画「それでもボクはやってない」は楽しみな1本です。