TOP > 五右衛門の四方山話 > 自己紹介&コラム > 利己主義支援にならないように

自己紹介&コラム

2007年3月

利己主義支援にならないように
(2007年3月4日 福井新聞掲載)

はじめに

この時期、新聞紙上でも大学や高校受験の志願状況をよく目にします。少子化とは言え、目前に迫った県立高校一般入試は1.08倍で、中でも最大倍率の高校では130名以上受験生が残念ながら涙を飲む事になります。

運動会のかけっこでも個人の順位をつけないと言う風潮もあるなかで、15歳にして最初の競争かもしれません。結果はどうであれ、それはそれでいい経験になるでしょう。と、外野は気楽ですが、当事者にとっては大きな勝負でしょう。ぜひ全力で頑張って欲しいものです。

個人主義が主流の中で

瀬尾まいこさん原作の「幸福な食卓」が映画化されましたが、その中に高校入試の合格発表会場のシーンがありました。その発表会場で主人公は自分の「受験番号と名前」を見つけるのですが、今では名前の発表はせずに受験番号だけじゃないかなと少々違和感を持ちました。

かつては、福井新聞にも合格者一覧の発表もありましたし、ラジオで名前を紹介もしていました。今では考えられないようなことです。確かに「個人の事情」を公にするのはプライバシーの問題もあるのでしょうが、当時は、まだ「個人の事情」を知りたい近所の方や親戚の方も多かったのでしょう。「個人」よりも「家族」、「家族」よりも「近所」と言うように優先順位が違った時代だったのでしょう。

プライバシー保護や個人情報保護など、「個人主義」が主流を占めるのは時代の趨勢(すうせい)かもしれません。しかし、今の時代、「個人主義」を「利己主義」と勘違いしている部分はないでしょうか?

赤ちゃんポストって姥捨山?

安倍首相が「赤ちゃんポスト」に大変抵抗を感じる(2月24日付)との記事で、関係施設側は困惑気味とのことですが、確かに事情があり育てることが出来ない赤ちゃんがいるのも事実でしょう。罪のない将来性のある赤ちゃんの命が救えるなら、どうにか制度にしたいと思うのは心情でしょう。しかし、本来ならば、「赤ちゃんを捨てる」と言う発想自体を持たないようにするにはどのような教育が必要か、どのような育児支援が必要かを、きちんと議論した上で、社会的な支援の体制の元に存在すべきことでしょう。

実は私も「赤ちゃんポスト」には強烈な違和感を持ったのも事実です。「姥捨山」が現在の「介護施設」や「老人施設」になっていると思えば違和感はないものだと頭では理解できますが、捨てるのと預けるのとは大きな隔たりを感じます。重要な事はそこに家族という存在があるかどうかではないでしょうか。

利己主義を支援しないように

「個人主義の自由」は「利己主義の我が侭」とは違い、その自由には重い自己責任があることだろうと思います。

社会的な文化や価値観が置いてきぼりにされたままで、制度だけがどんどん便利な制度になっていくのは、新たな問題を生む事になるのではないかと感じるわけです。プライバシーや個人情報保護を楯に個人優先の雰囲気が、「子育て支援」を「利己主義支援」に変えてしまわないような施策を進めてもらいたいものです。